ん?今更年越しのエントリー???その通りですよ。毎年一年を振り返る日記を書いているのだけれど、今年は筆が進まないまま半年が過ぎてしまった。気がついたら7月も終わる。
ありがたいことに、特に自分の周りで何か不幸が起こったわけでもなく、多少仕事が忙しくて余裕がない時期があったくらい。それでもこの半年、なんか文章が書けなくなっており…。
この投稿では何が辛いのか、もう少し詳しく書いてみようと思う。…が、重くなってしまいそうなので、いつもの軽い年越し振り返りはこちらの記事で。
“Masculine Energy”への回帰と息苦しさ
2024年は、なぜか仕事がQ4に集中してしまい9月ごろから目の回るような忙しさだった。でも仕事は仕事なので淡々とこなしていくのみ。むしろ心が沈む原因になったのは、世の中の動きやデザイン業界の雰囲気…。
まず11月に飛び込んできた第二次トランプ政権の発足というニュース。2022年はロシアのウクライナ侵攻、2023年のイスラエルのガザ侵攻でずっとどこか重苦しく感じてきた憂鬱な気分に、さらに追い討ちをかけられたような気がした。
もちろん、他国の大統領の話。日本人である自分には直接関係ないわけだし、うわーとは思ってもそこまで気にする必要はないのかもしれない。
それでも、選挙期間中のX上でのイーロン・マスクのトランプゴリ推しには辟易していたし、トランプが勝ったことで勢いを得たSNS上で女性蔑視を拡散する人たちの’Your body, my choice’というフレーズを使っての攻撃には本気で吐きそうになった。日本語X圏では見えにくかったかもしれないけど、トランプ氏が当選したことで、堰を切ったように女性を支配しようとする投稿が増えていたと思う。自分はアメリカ人の友人もいるし、何より同じ一人の女性、一人の人間として、マイノリティへの攻撃の言葉がナイフのように飛んでくるような感じがしていた。
毎日のニュース、SNSでの投稿でひっきりなしに流れてくる暴力的な情報。その量が突如あまりにも増え、心が反応しすぎてしまい、なかなか考えを言葉にできなくなってしまっていたのがこの半年くらいだったように思う。
そもそも、2024年前半は「虎に翼」という朝ドラにハマっていて、「ここまでジェンダーについて問題提起するドラマが朝ドラで放送されるなんて、ようやく進んできたなぁ」と感動していたのだけれども。まさかジェンダー先進国だと思っていたアメリカがあんなことになってしまうとは。
象徴的なのがテック富豪たちで、トランプが大統領になった瞬間こぞって跪いて献金した姿は滑稽だったし、あれほど推されていたDEIのイニシアティブがあっという間に取り下げられたのにはショックを通り過ぎて呆れてしまった。半年経った今では、シリコンバレーの最新トレンドはAIの軍事利用だそうで。
メタのトップであるザッカーバーグ曰く、ここ近年は社内での「Masculine energy」(男らしいエネルギー)が足りなくなっていたらしい。この発言は興味深くて、研究では「女性がミーティングで発言する際、実際よりも多く話していると錯覚される」ということがわかっている 1 。Metaは実際まだまだ男性中心の社風らしいので、要するにちょこっと女性に活躍の場を作ったら、ザッカーバーグ自身のアンコンシャスバイアスが露呈しちゃったということだろう。
一方こういった「男性中心主義」に迎合する女性たちもいるわけで、それを象徴するような存在の一人が現ホワイトハウスの報道官リーヴィット。以前、「イーロン・マスクが政権メンバーと大喧嘩をした」という報道についての質問に「Boys will be boys(男の子はいつまでたっても男の子なのよ)」と返答していた。…申し訳ないけど、この「元気な男の子たちねぇ、しょうがないわねぇ、うふふふふ…」みたいな態度、控えめに言って気持ち悪い。核のボタンにアクセスできる成人男性たちが「いつまでたっても男の子」じゃダメなんだよ、マジで。
それ以外も、絵文字使って爆撃にキャッキャ言ってるボーイズとか、他国のリーダーへの侮辱の嵐とか、裁判無しの移民の強制収監とか、大学への攻撃とか、気候変動対策からの引き上げなど奇行が続くアメリカを始め、昨年末から今日まで、あまりにも排他的で、いい大人のいじめや暴力、軍事拡大への賞賛など”Masculine Energy”への回帰が急速に進みすぎて、息ができないような毎日が続いている。先日の参議院選挙もそうだが、属性で雑に括ってそのグループを支配、排除することが当たり前な世界になりつつあるのが本当に怖い。
…いやもちろん、その流れに抗っている人たちもまだたくさんいるのだけれど。
「人のため」のデザインはどこへ行った?
一方、普段のデザインの仕事でも少し心が折れることが。それは、2019年ごろまで盛り上がっていた「人のため」「社会のため」のデザインという流れのトーンダウン。
そもそも20世紀の始めから続く現代デザインの中で、グラフィックデザインやブランディングが「ブランド価値を伝える」「選んでもらうためのデザイン」という役割を担ってきた一方、デジタル技術の発展により「UXデザイン」が注目され、ユーザーがソフトウェアを使って何かしらの目的を達成できるよう体験設計をする「使うためのデザイン」が広まっていった。そこからさらに「そもそもどんなプロダクトを作ることに意味があるか」→企画・戦略に踏み込んでいくことも多くなった。ビジネスとユーザー双方にとって本当に価値があるものを、という問いかけを行い、経営幹部レベルのCDO (Chief Design Officer)として会話に入っていくことも普通になってきていた。
ところが、短期的に目に見える収益に結びつかないことから、ビジネスは痺れを切らし、近年デザインへの期待が減ってきていたように思う。さらに、トランプ政権が誕生したことにより、DEIやサステナビリティへの取り組みもなくなり、「個人の使いやすさだけでなく、コミュニティ、社会、環境のためのデザインを」という声は、むしろうっとおしがられる流れに。
「今までやりすぎていたから、揺り戻しがきているのでは」
去年とあるデザイナーさんに言われたこの言葉は正直ショックだった。「人権を守る」「環境を守る」ことが「やりすぎ」と言われる世界ってなんなんだろう。「ちょっとやりすぎだからもう少し人権無視した方がいいよね?」ってこと?
とにかく、短期的に株主へのリターンを最優先にする資本主義社会でのビジネスと、ひたすら言われるがままにそれを手助けするという役割から抜け出せないデザインに、なんだかがっかりしてしまったのだ。
ソフトウェアは情報技術。そのデザインには必ず意識的に、また無意識的に価値観や政治が反映されるし、下手をすると認知ハックのように相手をコントロールしてビジネスのためだけに動かせてしまう。わかりやすいのはX。広告収入を優先させるために、プラットフォーム上では常に過激な声ばかりがアルゴリズムで上にあがってきて、Likeを集め、不毛なヘイトやレスバが横行している。これでは欧州がSNS規制に動き始めているのも全く不思議ではない。
それを可能にしているのが、ソフトウェアのデザインと開発。まさに自分がいる業界…そんな現実を目の当たりにして本当に情けなくなってしまった。
半年経って、少し気持ち的には落ち着いてきたものの、デザインへのがっかり感はいまだに続いている。ただ、5月の頭に(とても悩んだ挙句)アメリカのフィラデルフィアで行われたIAカンファレンスに参加してきて、少なくともトランプに投票しなかった人たちは今も現地で厳しい状況で戦っているのがわかったし、いろんな人と話をする中で、今の状況に憤っているのは自分だけじゃないことがわかって、多少救われた。
同時に、日本は政治の話をしない文化なので、もしかすると世の中の出来事に憤りを感じていても、言いづらい雰囲気があるかもしれない、とも思った。もし今の雰囲気に危機感を感じたり、世の中のニュースに攻撃されている感じがして傷ついたりしている人がいたら、もっとつながっていきたい。特定の属性の人間を攻撃することでマジョリティが団結する社会ではなく、お互いを傷つけない社会に少しでも向かえるよう、自分なりに貢献していきたいと思う。
2024年のレクイエム、終わり!
- A. Cutler and D. R. Scott, ‘Speaker sex and perceived apportionment of talk’, Applied Psycholinguistics, vol. 11, no. 3, pp. 253–272, Sep. 1990, doi: 10.1017/s0142716400008882. ↩︎
